椰子の実

柳田国男の著書の中に、愛知県の「あいち」の由来の説明があります。「あえ」の「よる」「ち」...珍しいものが流れよってくる地...と説明されていたと思います(今、手元に本がないので...違っていたら、後日訂正しておきます)。

島崎藤村によってつくられた「椰子の実(名も知らぬ 遠き島より...という歌です)」という歌は、柳田国男から愛知県の渥美半島で拾った椰子の実をのこと聞いたことから作られたといわれています。

日本では、あまりお目にかかれない椰子の実が、浜に流れ寄ったおかげで、一人には著作を、一人には詩を作らせたというわけです。

海は、いろんなものを運んでくれます。

かつての日本人の行動力はかなりのもので、特に海に面した所で生活していた人達は、船を利用することで、今とは違った交流や文化圏を作り出していました(日本の沿岸部に限らず、沖縄や韓国、中国にまで..)。「日本人は、農耕民族だ」ということが通説みたいになっていますが、漁師さんは、どう考えたって狩猟民族ですよね。これだけ海に囲まれている国の人々を「農耕民族」でまとめてしまうなんて...ですよね。

今「常識だ」と思っていることは実はたいした「常識」ではなくて、単なる先入観であったりする場合があります。

住まいのことや人のことも、先入観で判断してしまわないように、設計者やデザイナーは、いろいろなことを勉強しないといけないんでしょうね。

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