お気に入りの場所

皆さんには、お気に入りの場所なんてありますか?
私の場合ですと名古屋城です...というと、なんか当たり前すぎて全然面白くないようですけど...北西角のお堀の辺が好きですね。この隅櫓は、お城の中で最も旧い建造物です。どことなく他の建物と雰囲気が異なります。(見比べたことあります?)水が張られ、石垣の変化もあって、なかなか風情があります。

水のある風景というのは、どことなく引き付けられるものがありませんか? 水そのものも魅力的ですし、それに映る風景が厚みを加えてくれて...田植えの後など、辺一体が劇的に変化して、緑の量を倍加させてくれます。

街角の2CV

街角といっても...これはどこだったけ...日本の街ではないことは確かなんですけど...ドイツかフランスのどっかの街です。
日本だと目立ってしまう車ですが、本来はこんな風に当たり前っぽく、生活を感じさせてくれる車です。

y=f(x)

以前、哲学の先生と話をしている時、突然「y=f(x)の「f」は、人間にとって、いったい何を指しているのでしょう?」なんていう話になりました。恥ずかしいことですが、私には見当もつかず、「f」が「function」であるということも、その時知ったわけです。

「function」には、「機能、働き、作用、職能、職務、関数、写像、儀式、祝典、行事」といった意味があり、建築やデザインの世界で、「機能的」とか「機能主義」といった場合にも、使われる言葉です。

「機能主義(functionalism)」なんて、「本当に上手く名前をつけたな」って感心してしまいますよね。

「y」を空間なり、形態なりに置き換えたとして、「x」は...人ということで、よいでしょうか? じゃあ、「f」は?...いろいろな関数をあてはめることができるとして...様々な予条件???...でも、それが「機能」なの? なんて...

おもしろいですよね。はじめて数学を身近に感じたりしました。

プライバシー

 「日本の家屋には、プライバシーがない。」などといわれますが、ヨーロッパにおいても、プライバシーが確立したのは、そんなに昔のことではありません。 壁で囲まれた住居でしたけれど、個人に寝室が割り与えられているわけではなく、数人で1つの部屋、場合によっては、1つのベッドに数人で眠る、なんてことも一般的だった時代もあったようです。
 プライバシーを確立するのは、鍵と錠の普及があってはじめて成立しました。
 当たり前と思っていることが、実はそうではない、という一つの例です。
 200年ほど前まで、ヨーロッパの住居にトイレがなかった、なんて信じられますか? どうしていたんでしょう? トイレの話は、また別の機会に...

「大須」

名古屋の中心近くに「大須」と呼ばれる地区がある。昔は「大須観音」を中心とした門前町を形成していた。私が幼いころは、もう遊廓などなくなっていたが、アーケード商店街の他に、映画館やパチンコ店、飲食店、露天商などがあって、独特の雰囲気を持った繁華街であった。

一時さびれた様子であったが、20年ぐらい前にリサイクルショップが、その後、家電店、パソコンショップ、古着屋等が出店し、現在では活気を取り戻している。

家電店があることから、以前から外国人を多く見かけたが、現在では、外国人向けの飲食店も出店しており、以前にも増して多く また、通りをはさんで銀行やオフィスもあったりする。

さほど広くない地域内に、このような多種多様な店が並んでいるため、通りを歩いていると、多様な人々を見ることになる。

「観音さん」を参拝した年輩の一向、暇を持て余し自転車でパチンコ屋に通う初老の男性、南米出身者のグループ、家電目当ての新婚アベック、ランチをとるサラリーマンやOL、古着屋さんを探索する今風の若者達、ゲームソフトに集う子供達、もちろんコンピューターに関心を持つ人々は、ここに必ず詣でることになる。

この街を「◯◯の街」として表現するのは、なかなか難しい...。多様な人々が入り乱れ、多様な文化が交錯している「大須」は、「アジアの街」と言えるかもしれない。

右と左

 先日、地元の経済紙に、ある大学教授が、「座席の位置によって、学生の学力が分る」とし、右側と左側の意味を解説されていた。自分も教壇に立っていて、学力は別にして、学生の雰囲気などはそのように感じていたので、興味深く読ませてもらった。
 もっとも、それは、「人は、右側により注意をはらう」という傾向から導きだされた結果なのだが...。壇上からの注意を避けたい学生は左側に座り、注意を引きたい学生は右側に座ることになる。私の場合も教壇では、確かに右側の方に注意がいきやすい。
 このように、「右」と「左」は、人間にとって不平等な存在となっている。別の例としては、新聞紙面を読む時も、右上から左下へ目が流れていく傾向にあるそうだ。
 そうしたら先日、片岡鶴太郎氏が、普段は右利きなのだが、書画を行う際、左手を用いているという話を聞いた。随分前にも、右脳と左脳の働きの違いが話題になった(左手を使うと、右脳が刺激される)が、脳も左右不平等にできている。

2月22日

もう2月もおしまいですね...学生の課題が提出されてきて...ちゃんとフロッピーで提出してくれたら、ホームページに載せると言っておいたんだけど...フロッピー提出者は1人だけで...それもちゃんと保存されていない...でも、みんなそれなりに、がんばってワープロ打ってきたみたいだよな~...

などと呟きながら、10人分のレポートをスキャンして、OCRにかけtext化した今日一夜...でした。

そのうち、掲載しますので、是非読んであげてください。今の彼らに、最も大切なことの一つだと思いますので...

椰子の実

柳田国男の著書の中に、愛知県の「あいち」の由来の説明があります。「あえ」の「よる」「ち」...珍しいものが流れよってくる地...と説明されていたと思います(今、手元に本がないので...違っていたら、後日訂正しておきます)。

島崎藤村によってつくられた「椰子の実(名も知らぬ 遠き島より...という歌です)」という歌は、柳田国男から愛知県の渥美半島で拾った椰子の実をのこと聞いたことから作られたといわれています。

日本では、あまりお目にかかれない椰子の実が、浜に流れ寄ったおかげで、一人には著作を、一人には詩を作らせたというわけです。

海は、いろんなものを運んでくれます。

かつての日本人の行動力はかなりのもので、特に海に面した所で生活していた人達は、船を利用することで、今とは違った交流や文化圏を作り出していました(日本の沿岸部に限らず、沖縄や韓国、中国にまで..)。「日本人は、農耕民族だ」ということが通説みたいになっていますが、漁師さんは、どう考えたって狩猟民族ですよね。これだけ海に囲まれている国の人々を「農耕民族」でまとめてしまうなんて...ですよね。

今「常識だ」と思っていることは実はたいした「常識」ではなくて、単なる先入観であったりする場合があります。

住まいのことや人のことも、先入観で判断してしまわないように、設計者やデザイナーは、いろいろなことを勉強しないといけないんでしょうね。

距離とストレス

 満員電車で通勤・通学されている方も、多いと思います。いやですよね。見知らぬ他人と接する状態を数十分とか、1時間とか維持しなければならないのは、苦痛ですよね。
 人は、相手との親しさによって、間隔の取り方が変わってきます。例えば、家族や恋人同士など親しい間柄だと接するぐらいの距離でもOKです(これを密接距離といいます)、親しい友人だと45~75cmぐらい(個体距離)、個人的な関係のないもの同士だと120~215cmぐらい(社会距離)、かかわり合いの範囲外にいて、一方的な伝達が行われる場合には370~760cmぐらい(公衆距離)とされています。(エドワード.T.ホール「かくれた次元」より)
 満員電車内では、本来「社会距離」を保ちたい関係であるのに、「密接距離」を取らざるを得ない状況に追い込まれることから、ストレスを生み、不快になるわけです。
 エレベータという限られた空間の中で、見知らぬ人と同乗している場合も同じ状態になります。
 こうした状況下において、人はストレスから逃れるため目のやり場を探し、無表情になっていきます。
 都会で生活している以上、こういったことに慣れていかなければ、生活しにくいのでしょうが、ストレスは確実に蓄積されていきます。
 家庭は、こうして外で蓄積されたストレスを、解消する役割も担っていて、そのための仕掛けが、住居には必要となってきます。

名古屋の構造

名古屋のメインストリートは、「広小路(ひろこうじ)通り」といって、名古屋駅から中心街の方に、西から東に向かって通っている。

一般的に城下町であった街のメインストリートが、お城から南に向かっていることが多い中、名古屋は他とは違った街の構造を持っていることになる。

また、たいていの街が、駅の北と南で特色を変え、官庁街を形成する北と、繁華街を形成する南といった構造を持つのに対して、名古屋駅は東海道本線が南北方向になっていることから、街を東西に分断することになる。

また、富山県の立山の近郊に生まれた学生と浜松に生まれた学生から、街では東西南北を意識することがなく、自分の位置は、山や海との関係から知ることができた。という話を聞いた。

名古屋は大きな平野にあって、地形から方角を知ることは不可能である。

だから、自分の位置、あるいは向いている方角を知るには、なかなかの知的努力が必要となる。感覚で方向を知ることができない分、街との一体感を持ちにくくなる。

こんな具合に、名古屋という街は、本来人間の持っている感覚との間に、ギャップを生じさせる構造を持っている。

あなたの街の構造は、どんなですか?