先日、椎名誠氏の講演会の中で、モンゴルの家庭では、祭壇に「家族の写真」を飾っているという話しを聞きました。
モンゴルは、もともとラマ教の国なのですが、社会主義国になって、偶像崇拝が禁止された際、像に代わって、家族の写真をそこに置いたそうです。現在は社会主義国でなくなって10年ほど経ちますが、まだそういった習慣が続いているそうです。
そこに、拝むべき対象が無くなった時、どうするのか...。いろいろな選択肢が考えられたと思います。拝むことをやめてしまうこともできたでしょうし、家族の写真以外のものを対象にすることもできたでしょう。でも、そこで「家族の写真」を選んだ、ということが素晴らしいと思いました。このことが、人が手を合わせる根元的なものが「家族」である...そんなことを物語っているように思えたからです。
[2002.12]