「風土」について

 十代の頃、和辻哲郎の「風土」を、一種の運命論と考えてしまって、自分が「日本」という杭に結わえ付けられてしまったような気分を味わったことがありました。
 ナショナリズムの時代においては、国家や民族といった明確な境界が、強く求められることもあるでしょうが、現在の日本の中にも東南アジア系や南米系・中近東系の日本人が誕生しているわけで、運命論的な日本らしさだけでは、日本を説明できなくなっていることも確かでしょう。
fudo.gif つまり、現代における「日本らしさ」とは、先入観によって定義されたものではなく、もっと個人に立脚して考えられるものになっているという考えたいわけです。
 「日本人だから・・・」とか「日本の国はこうだから・・・」といった枠を作ってしまう考えよりも、自分の日常を見つめ、借り物ではない「自分らしい表現」を理解することが、「日本らしい表現」の基盤ともなるだろうし、「日本」の可能性を広げ、未来に対する希望を広げてくれる気がします。
 建築やデザインに関しても、一人一人が日常を意識化し、運命論的思考の束縛から自由になった時、本当の意味での文化的背景を持った、建築が可能になるのだと思います。

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