建築について

建築について

学生時代、旅行するのが好きで、国内のいろいろな所をフランスパンをカジりながら、歩いていました。当然、いろいろな建物も訪ねていくのですが...現代建築がとても元気で、丹下健三、黒川紀章、磯崎新、村野藤吾...といった、学校で習いたての設計者の建物なんかも見にいきました。

そんな時、なんとなく自分が目ざしたい建築ってこういうもんじゃないだろうか...と思わせてくれたのは。長崎の浦上の天主堂でした。(グラバー邸の隣の大浦ではありませんよ。)設計者も知らず、何の予備知識もなく、夕方ふらりと訪ねた時、教会の内に明かりが点り、薄暗くなりかけた丘を、その光を目ざして上ってくる大勢の人たちを見た時、この建物は生きているんだと強く感じました。

それから、この教会の生い立ちや歴史を知り、崩れた建物や彫刻が有りのまま、あたりにある様子に、また、強く引かれました。

生きた建築をつくりたい...という思いで、その後を過ごしています。

あれから、再びは訪れてはいませんが、多分、いろいろ整備もされている様子で、あのままの姿を見ることができないとしたら、とても残念なことだと思います。

少しだけライトの話

フランク・ロイド・ライトは、19世紀末から、1950年代まで活躍したアメリカの建築家です。以前の帝国ホテル(現在は愛知県の明治村にあります)の設計者として日本でも有名です。

彼のスタイルは独自のもので、当時もてはやされていたモダニズムとはチョット距離をおいた存在でした。

彼の建築が紹介される時には、よく「有機的」という言葉が用いられます。「周りの風景と有機的に結びついた」とか「人の感性と有機的に結びついた」とか...。

構造に関しても自然から学んだと言います。

そんな彼が描いた未来都市を紹介しておきます。未来的(?)な建物の周りは田園です。なにやらキャベツらしきものまで描き込んであります。

昨日に続いて未来都市の紹介でした。(今日のは、なにやらホッとするでしょ?)

このドローイングは1958年に描かれたもので、翌年の4月9日に彼は亡くなっています。もうすぐ40回目の命日。

ライト関係のホームページへのリンクがありますので、よかったらこちらから

旅行の写真

棚を整理していたら、授業で見せてそのままになっていたみた写真が出てきました。昔旅行した時のもので、懐かしくなってきたので、今日はそれを掲載します。

場所はフィレンツェです。左上から、「ウフィッツィ美術館(といっても右側の建物がです。)」「パラッツォ・ベッキオ」、左下「パラッツォ・メディチ・リッカルディ」「ドォーモ」です。

ウフィッツィ美術館は、ダビンチやラファエロの作品もありますが、ボッティチェッリの「春」と「ビーナスの誕生」で有名なところです。でも、この広場の遠近法は見事ですよね。ルネッサンス! という感じがしますよね。

パラッツォ・ベッキオの中庭です。上を見上げると、変型した空が見えてなかなか楽しいです。この中庭のデザインはミケランジェロだそうです。

パラッツォ・メディチ・リッカルディ...夕方、ここでスケッチをしていたら、大きな(フェリーニの映画に出てくるような)婦警さんに覗き込まれました。閉門時間を過ぎていたとか...。完全なシンメトリーでないところが面白いですよね。

ドォーモは、フィレンツェの中心の教会。空の色が印象的でした。

では、今日はこのへんで...

   

駅の話から2

 先日、ヨーロッパの駅と日本の駅の違いについて書きましたが、建物も随分と違いますよね。ヨーロッパの駅の場合、ホームにまで屋根が掛っていたりして、ボリュームを感じ、とても面白い空間であったりします。そういえば、フランスのオルセー美術館は、元駅だった建物です。インテリアを改装し、美術館として機能させています。

 日本では、そういう考え方はなかなか広がっていきませんね。いつまでたってもスクラップ&ビルドの社会です。

 以前ロンドンで宿泊したホテルは、一つの建物にホテルとマンション(日本でいうところの...)とブティックが入居していました。もともとは、お屋敷だったそうですけれども、インテリアを変えるだけで、対応しています。

 ベネチアでは、旧い建物の外観だけ残して、苦労しながら改築(ほとんど新築のようなものだけど...)していました。

 もっとも、旧い街並に新しい建物を建てた時のダメージを計算した上のことでしょうけど...。何が自分達に利益を与えてくれるのか、よく知っています。

 パリにしてもロンドンにしてもベネチアにしても、曾て栄えた時の資産(街並は資産でしょ?)を、大事に、上手に運用しています。

 日本の場合は、どうなんでしょう? バブルで栄えたときの資産は? 運用されていますか?

駅の話から...

 昨日、駅の話をしましたが、駅と言えば...ヨーロッパの駅は、日本とは随分違いますよね。

一つの街に「北駅」とか「東駅」とかあって、

それぞれが、それぞれの方角に向かって線路をのばしていく...ターミナル駅ですよね。

勿論そういうスタイルではなく、日本のような通過駅スタイルのところもありますが...。

こういうことからも、街の作り方の意識の違いが感じられませんか? 

便利なのは、通過スタイルなのでしょうが、ターミナルスタイルの方が、

生活と共に鉄道が発達してきた...既成の町並みを崩すことなく、鉄道を設置すると、

こうなるのでは...という感じがします。

 日本の鉄道は、それ以前の街を避けるようにして通過スタイルを採っていますから、

新しい街が、鉄道駅周辺に作られてきました。それとともに、旧い市街地は寂れ、

街の中心は移動します。

 ヨーロッパでは、街並を意識した鉄道設置が行われてきたということでしょうか...

城壁都市においての門と同じような感覚で、鉄道駅を周囲に配し、内と外を明確にした街づくり...

それは、利便性よりも人間の心理に忠実な街づくりなのではないでしょうか...。

 それは、ヨーロッパに、「駅」を舞台とした映画が多い理由には、ならないでしょうか?

ヒースロー空港のトイレ

 以前ヨーロッパを旅行した時、ヒースロー空港のトイレに入って、少々ひるんでしまった思い出が一つ。

 女性には分かっていただけないと思うのですが...男性の中には、私と同じような思いをした方も.....なぜ、あんなに高いんでしょうね...まあ、下の図のように、アングロサクソン系の人の身長が高いのはわかります...足が長いのもわかります...でも、ちょっとこれ見よがしですよね...国の玄関先だというのに...ドイツの人達も身長は高かったけど、それほど高い便器ではなかったように思うのですが...。

 確かに身長に合わない便器というのは、使い難いもので、住宅の場合も、余裕があれば、男性用の小便器を設置するようにしています。洋便器に...というのは、やはり使いづらい...もともとそのような構造をしていないわけですから...。

 小便器にしても、床置き式だとこれもまずい場合があったりする。壁掛け式も、やはり丁度足の長さに合ったものが使いやすい。足の長い人が、低い小便器を使うのも、使い難いそうです...。

 とするなら、ヒースロー空港の便器に間違いはないわけなんですけど...ほんのちょっとの思いやりが、足りないってことなんでしょうか?

滑る床

雪はどうでしょうか? 名古屋でも木曜日の朝は、結構積もっていました。転んでしまっている人も見かけました。普段は何でもない歩道も、雪があったり、凍っていたり、濡れていたりすると、とても滑リやすくなります。

歩道の素材が変わっている所などは、特に危ないです。コンクリートやアスファルトに鉄のマンホール蓋などがあったり、横断歩道の白ペイントなども気をつけたいです。鉄は雪が積もっていなくても、凍っていることがありますし、チョット濡れただけでも滑ってしまいます。横断歩道の白ペイントも、アスファルトの部分より凸凹がなく、同じような感覚で足を付けると滑ることがあります。

商店街などで、陶器製やみかげ石などのタイルを使っているところがありますが、表面の加工で、凸凹が付けてないと、とても滑りやすいです(この凸凹も、あまり大きく付け過ぎると、車いすや盲人の方の歩行障害になってしまうので、難しいところです...)。

素材の選択は、とても重要です。見た目はもちろん大切ですが、それも、こういった基本的なことをクリアしてからの話です。素材を選択する際に、もっともっと考えるべきでしょう。

街の歩道に限らず、住宅の玄関先やアプローチの素材も、もっと考えれば、コストを掛けないでも、選択の幅はあると思います。

滑る床

 雪はどうでしょうか? 名古屋でも木曜日の朝は、結構積もっていました。転んでしまっている人も見かけました。普段は何でもない歩道も、雪があったり、凍っていたり、濡れていたりすると、とても滑リやすくなります。

 歩道の素材が変わっている所などは、特に危ないです。コンクリートやアスファルトに鉄のマンホール蓋などがあったり、横断歩道の白ペイントなども気をつけたいです。鉄は雪が積もっていなくても、凍っていることがありますし、チョット濡れただけでも滑ってしまいます。横断歩道の白ペイントも、アスファルトの部分より凸凹がなく、同じような感覚で足を付けると滑ることがあります。

 商店街などで、陶器製やみかげ石などのタイルを使っているところがありますが、表面の加工で、凸凹が付けてないと、とても滑りやすいです(この凸凹も、あまり大きく付け過ぎると、車いすや盲人の方の歩行障害になってしまうので、難しいところです...)。

 素材の選択は、とても重要です。見た目はもちろん大切ですが、それも、こういった基本的なことをクリアしてからの話です。素材を選択する際に、もっともっと考えるべきでしょう。

 街の歩道に限らず、住宅の玄関先やアプローチの素材も、もっと考えれば、コストを掛けないでも、選択の幅はあると思います。

Luis Barragan

正月気分もようやく終わって、NewMacの興奮もさめた今日...さて本格的始動か...と思っていたら、ルイス・バラガンのカレンダーをもらって、またまた興奮?

ルイス・バラガンというのは、メキシコ生まれの近代から現代にかけての(1902~1988)の建築家で、シンプルな形態とカラフルな色使いに特徴があるのだが、それがメキシコの乾いた(...と思う..)風土と調和して、とても魅力的な空間を作り出している。随分前に写真集が出ていたが、今回のカレンダーは、それからの抜粋というよりも、同時に採ったものから選んでいるらしい。カメラマンは、建築写真の弟一人者の二川幸夫氏である。自然を部分的に取り入れながらのものと、シンプルな面構成と光と影(陰?)の関係をアップにしているものが目立つ。建築写真には珍しく、馬や祈りを捧げる修道女が登場するのも、空間が伝えるリリックな部分が感じられて好感がもてる。

僕は、人が写っている建築写真が好きです。そこには、生活が感じられ、人と空間の関係が物語られ、設計者の心情もうかがい知ることができる。日本の建築雑誌の多くからは、人が排除されてしまっているような気がする。ドイツやイタリアの雑誌などのは、しばしば人が登場する。まさか、設計者が、人がいない状態を、bestと思っているわけではないだろうに...。

無断で、写真を掲載します。(問題が生じたら、速やかに掲載をやめます)ポスターのものは、大きすぎてスキャニングできないので雑誌からです。一番気に入っている写真も、画面の都合上掲載できません。気に入った方は、ぜひ本屋さんで立ち読みしてみて下さい。

バラガンの記事はこちらから。

 

言葉について

 よく「◯◯の構造」などの本を読むと、まず最初に言葉の定義からはじまる。日本語には、こう言った意味の言葉はあるが、フランス語にはないとか。英語だと、こう訳すけれども、実のところチョット違うとか。「甘えの構造」の「甘え」とか、「いきの構造」の「いき」とか、こんな感じである。

 ところで、逆に日本語だと思っているが、実はそれほど歴史は古くはなく、外国語を訳したものもあったりする。「建築」という言葉もそうだ、と聞いた記憶がある。明治時代になって、外国の文明を取り入れた時点で、architectureなる言葉を訳したのだろうか。日本に、近代建築を伝えたコンドルは、イングランドの人だから...(ごめんなさい、かってな事を言っています)。

 architectureは、「アーチ(arch)を作る人」というふうにも聞いた。語源はラテン語(古代ローマの言葉)だと思う。ローマ人は、たくさんアーチ建造物を残している。ただ今、辞書を見てみると、アーキトレーブ(architrave)というのがあって、「ギリシャ建築のエピステュリオンに相等する水平部材。」との記述がある(ギリシャ建築にはアーチは登場しない)。まあ、いずれにしても石造建築物に登場する用語というわけです。

 そういう意味では、明治以前には、石造建築物は少なく(でも、江戸時代の石造の橋は、アーチ型してますよね...)...そう少なく...それ以前の言葉では、うまく意味を伝えることができないと判断して、「建築」なる言葉が誕生したのだと考えられます。

 少し、データ不足で、説得力ないかな~。