住いをつくるということ

veranda03.jpg住宅を設計するということは、店鋪や事務所といった公共性をともなう建築物を設計することとは、根本的に異なる思考を必要とします。
「住まい」は、そこで生まれ育った人間の、空間の原点となります。例えば、私達が、「この部屋は狭い」とか、「この空間は居心地がいい」と考えるのも、原点として、私達が生まれ育った「住まい」との比較によって成り立っています(それは、無意識の場合がほとんどでしょうが・・・)。私達が生まれ育った「住まい」は、私達にとって、もっとも身近で、もっとも明確な「ふるさと」というわけです。
私達は、そうした「ふるさと」である「住まい」を原点として、新たに認識していった空間を位置付けしていくわけです。私達の行動範囲は、多分最初は、自分の周辺から始まって、だんだんと範囲を広げていき、社会と自分との関係性や、時には宇宙と自分との関係性に対しても、あれこれ考えるようになるわけですが、その時の原点はやはり、「ふるさと」である、生まれ育った「住まい」なのです。
ですから、住居を設計するということは、そこで生活する人達の原点を設計することに他なりません。原点を設計するということは、そこに生まれ、そこに生きる意味を明確にしてあげることだと思います。どれだけ実現できるかは、その時の諸条件によりますが、すくなくとも、このことだけは、住居をつくる人と設計をする人との間で、共通の認識を持っておくべきだと思います。
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陰影礼讃

現在の「家づくり通信」では、照明のことを扱っていますが、現在の照明設計では「明るさ」が特に重視されているように思います。
司馬遼太郎の対談集の中で、「闇は悪で、光は善、とするのは、アメリカ的...」と宮崎駿が言っていましたが、なにか現代は、明るさばかりが求められているような気もします。
かつて谷崎潤一郎がいっていたような、暗さの持つ上品さみたいなものが、もっと表現されてもいいように思います。
影がなければ、ものは平面的で薄平く見えます。あるいは、暗さは広さや高さと結びつくこともあるのです。
照明を考える時、どういう影を見せるのか...あるいは、どういう光を見せるのか...(明るいところでは、光は見えないわけで...わかってもらえるでしょうか...)といったことをもっと意識して、照明計画をすべきだと思います。
影がものに厚みを与え、生活にも厚みを加えていく...と思うのですが。
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バランス

車のエンジンの馬力を上げると...それまでのクラッチやミッションでは力を受け止められなくなってきます。クラッチやミッションを変えたら...今度はシャフト...タイヤ...ボディ...結局、全然違う車になってしまいます。タイヤを変えても同じことで...くいつきの良すぎるタイヤは、車の寿命を縮めていきます。(旧い車が履けるタイヤって難しいですよね...)
結局、全体としてのバランスが、うまくとれているか...が大切になってきます。
住宅のような建物にしても同じことで、どこか一部だけ突出しているのは、問題をひき起こしやすくなります。断熱だけは...とか、高気密だけは...というのも同じことです。個々の設備に固執するのではなく、最初に予算に応じたレベルを設定し、そこでバランスを調えていく必要があります。
設計者には、広範囲の知識とバランス感覚が、必要となってきます。
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高気密住宅雑感

以前にも書いたかもしれないが、いま流行りの高気密住宅は、まだ未完成のような気がする。ハウジングメーカーや輸入住宅の断面などを見てみると、日本の気候に適しているのかどうか...もう少し研究してみたい。
私は、日本の気候や、生活習慣などを考えた場合、高気密というよりも、中気密程度に止めておいたほうがよいように思っている。
気密住宅に限らず、一つの新しい方法を開発して、その結果がでるのに、10年ぐらいはかかるのではないか...設計者なりメーカーは、そういった住宅のデータを集めて、本当は公表すべきなのかもしれない。
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間取りとコミュニケーション

それが全てとは言いませんが...子供の成長の方向性と取巻く空間との間には、大きな関係があるとされています。「登校拒否児」を生みやすい間取りとか、いろいろ指摘されることもあります。
「コミュニケーションを取りやすい空間」といっても、家庭によって、コミュニケーションの方法は様々です。その家庭に合ったものでなければ、意味がありません。そこが難しいところですよね。
マスコミを通じて得られる情報は、十分にあります。ともすると、そこから流行が生じ、なんとなくその方向へ行ってしまうこともあるでしょうし...。自分の家庭を見つめ直すことが...どうしても必要となってきたりします。でもそれは、家を作る時の一つの儀式として、受け入れていただけたら...と思います。そうしたら、その家は、家族にとって、ピッタリと肌に馴染む空間を生み出してくれるはずです。
設計者の仕事とは、それを上手く導き、形あるものにしていくことだと考えています。
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木造住宅の木材

木材って、本当によくできた建築材料だと思います。軽くて、強くて、加工しやすくて...燃えることと腐ることには気をつけなければなりませんが...。木造建築は、その木の樹齢分はもつ...といわれています。法隆寺は、1000年以上たっていますが、やはり樹齢1000年以上の木材を使っています。
木造住宅でよくつかわれるヒノキの許容応力度は、圧縮で70kg/cm2、引張りで55kg/cm2、曲げで90kg/cm2、せん断は弱いので7kg/cm2です。コンクリートが圧縮が180kg/cm2ぐらいですから、重量のわりに結構な力持ちというわけです。
こうした木造建築のよさも、その材料をちゃんと見極めておかなければなりません。
節(フシ)の有る無しも関係ありますが、それ以上に大事なのは、乾燥度です。含水率18%が目安なのですが、これがなかなか....というわけです(木材を普通に乾燥させた状態だと30%ぐらい)。 ですから、材木の置いてあるところ(材木屋さんとか...)まで行って、乾燥状態を計ります。設計事務所が関わっていると、こういうところまでチェックします。
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設備の音

ある意味「住まいの進歩は、設備の進歩」と言えるかもしれませんね。「ウルの住宅」(またしても...登場です!)に見られるように、現在のプランの原形が数千年も前からあったとするなら、そこで大きく変わったのが設備です。
設備は、人の生活を、より便利なものにすべく、いろいろ登場してきます。エアコン・セントラルヒーティング・センサー付照明・エレベーター...住まいは、ひと昔前に比べても、多くの設備を受け入れています。
今日のお話は、こういった便利な設備が、新たな音源になるということです。
震動音などは、木造住宅に限らず、コンクリートの住宅(もちろん共同住宅も)でも、なかなか防ぐことができません。
エアコンのように、家族でルールを決めておけば済むこともありますが、暖房や給湯用の給湯器には、凍結防止用の循環装置が付いていて、勝手にモーターがまわったりします。センサー付照明器具のスイッチ音も、寝静まった夜には気になったりもします。
配置や設置方法を十分に考慮しておくべきでしょう。
また、音の大きさの単位として、dB(デシベル)やホンが使われますが、住居地域の夜間では、40ホン以下とする環境基準があります(昼間は50ホン)。
50ホンと40ホンの差は、10ホンですが、音のエネルギー差は10倍です。ホンもデシベルも、音のエネルギーの対数を示しています。したがって、50ホンの騒音状態が、2倍になった場合、53ホンとなります。
3世帯住宅が一般化している今日、遮音構造の床や壁と共に、家族のマナーと考慮された設備の選択・配置が必要です。
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有機質の家、無機質の家

以前話した「ウルの住宅」を覚えていますか? 3800年程昔の日干レンガづくりの家です。日干レンガというのは、泥を型に入れ、天日で乾かし固めたものです。火力によって焼いていないため強度はありませんが、もっとも入手しやすい建築材料で、雨の少ない中近東の貧しい地方では、いまだにこの方法で家がつくられています。(強度がないため、地震などで崩れて大きな被害を出すことになります。日本で現在一般的に見られるレンガは、焼成(ショウセイ)レンガといい、このようなことはありません。
強度の問題はおいといて...結局のところ「ウルの住宅」では、土に囲まれて生活していたわけです。そのことは、現代のコンクリート住宅も同じようなことが言えるかもしれません。コンクリートは、石を石灰で固めたもので、石灰も石を砕いて入手しているわけですから、石に囲まれた住宅というわけです。
どちらも無機質というわけです。
一方の日本の住宅は、草や木や紙といった有機質で囲まれた住宅と言えるような気がします。土壁も、わらを入れたりすることで有機化をはかっています。
人間は素材の違いによって、心理的な温度感覚が異なってきます。一般的には、熱伝導率(熱の伝えやすさ)の高い素材ほど、冷たく感じるようです。鉄・アルミといった金属類を一番冷たく感じ、次に石・コンクリート・ガラスといった無機質系の素材がきます。有機質系の素材は一番暖かく感じます。
こういったことから、人間が「やすらぎ」を感じる素材は、有機質系の素材となります。座ったり、寝転がったりする場所の素材は、有機質にしておかないと、本当の意味での休息にはならないのです。
したがって、無機質に囲まれた西洋式の住居では、建物と人間のインターフェイスとして、家具やインテリアが発達してきたものと考えられます。ベッドにしてもソファーにしても、無機質空間の中で、「やすらぎ」を得るためには、不可欠な物だったでしょう...。
一方、このような背景を持たない日本での、家具やインテリアに対する感覚は、歴史の浅いものになっていると考えられます。
逆に、日本のように有機質で囲まれた空間の中で、「やすらぎ」よりも「作業性」を優先させるには、別の意味での工夫が必要となったと考えられます。
私は、それもやはり家具やインテリアだったのではないかと考えています。つまり、西洋においては、建物を人間に近付けるために家具やインテリアが成立し、日本では、建物を人間から遠ざけるために家具やインテリアを導入したのではないか...と、いうことです...。
このことに関しては、また、別の視点から考えてみる必要がありそうですね。
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部屋の名前とインテリア

ところで、「ウルの住宅」には、部屋に名前が付いていたのを覚えていますか? 台所とか仕事部屋とか...まあ、当時はどう呼んでいたのか本当の所は分りませんが、とりあえず、目的に応じた部屋が用意されていたいたようですよね。
一方の日本の住居はというと、奥の部屋とか土間という言い方で、明確に部屋に名前を付けていなかったようです。
日本での生活は、1つの部屋で、食事をし、休息をとり、家族が団欒し、お客をもてなし、睡眠をとる...といった生活をしていたわけですから...目的に応じた部屋の名前を、付けるわけにはいきませんよね。
随分前に、「日本人の家は、ウサギ小屋」なんて言われてしまいましたが、狭い面積でも、効率良く生活できるのが、日本の文化だったわけです。
ですから、日本では、江戸時代になる位迄は、大きな家具はあまりありませんでした。道具(お膳、座布団、ふとん...)を入れ替えることで、1つの部屋で多様な目的に対応していたのです。
一方西洋では、食堂にはテーブルと椅子、応接室には応接セット、寝室にはベッド...という具合に、家具が発達していくことになります。
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一方日本の住宅は...

昨日の「ウルの住宅」はいかがでした? ちょっと驚きませんでしたか? 西洋では数千年もの間、住居の基本形態が変わっていないなんて...。
じゃあ、日本の住宅は...と言いますと、江戸時代まで縦穴式住居で生活していたと言うと驚きますよね....。おおかたウソですけど、少し本当です。地方によっては、そういう住居で生活していた人達もいたようです。縦穴式住居って、あの縦穴式住居ですよ。静岡の登呂遺跡のような...。日本でも、そういう意味では、数千年間、住居の形態が変わっていなかった...と言えないこともないのかも...。
昔の人々にとって、地面の上に木材で家を作るのは、それなりに工夫が必要でした。ちょっと考えてみてください...積み木を重ねて壁を作って屋根を架けわたすのと、マッチの軸を組み合わせて壁を作って屋根を架けわたすのと...。
積み木はレンガの家、マッチの軸は木造の家をイメージしています。マッチの軸で壁を立てるのは大変な仕事のように思えませんか? 少し揺らしたら倒れたりして...。というわけで、壁を立ち上げられず、屋根の下で生活していたのが、縦穴式住居なわけです。屋根は、木材を三角形に組んでいるので、揺れても倒れにくいのです。なぜ穴を掘ったか...ですか?...壁を立ち上げられないかわりに、壁を掘ったというわけです。
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