またまた木造の話

というわけで、昨日の話の答えを書かなければ...
昨日書いた「設計時に考えなければならない、木造建築物の欠点」というのは、接合部のことです。
昔の日本建築は、「くぎ一本使っていない」なんていうことが、大工さんの自慢だったりしたのですが、今は、構造の考え方自体が違います。耐震性能をあげるため、「壁」を作っていることは、以前にも書きました。このように、現在の木造建築物は、しっかりと固定することが、重視されているわけです。
木材をしっかり固定する...つまり、しっかりと接合するには、金物が必要になってきます。(鉄骨でしたら、溶接してしまえばすむし、コンクリートも、しっかりした壁厚と鉄筋が確保されていればすむことなのですが...)木造の場合には、異物が割り込んでくるわけです。
金物は固く、木材は柔らかい。ですから、無理な力が加わった場合、その部分で木材が引きちぎれてしまうことがあります。場所によっては、色々な力が加わる部分があるのですが、数種の金物を使う場合、木材が耐えきれなくなることが考えられます。
したがって、構造のことを十分に配慮して、金物を使うようにしなければ、「構造計算上はOK」とか「JIS認定の金物を使っているから」というだけでは、不十分になってしまいます。
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ついでに木造の話

昨日のつづき....
こんなに、よい所ばかり(他にも軽くて、加工がしやすい...etc)なのですが、勿論欠点もあります。何だと思います?
まっ先に思い付くのは多分「燃える」ことだと思います。木材は燃えますが、実はちゃんとした太さの木材は、なかなか燃えないのです。表面は燃えますが、炭化した部分が断熱層となって、内部まで燃えないのです(細い木材はダメですよ...)。同じぐらいの燃焼温度なら、鉄骨建築物の方が、倒壊が早いです。鉄は熱に弱く、500℃で強度は半減してしまいます。だから、鉄骨建築物の場合、十分な耐火被覆が必要となります。
次に「腐る」という欠点があげられますよね。これは、ちゃんとした配慮ある工法が必要です。昔の日本建築では、腐りにくくするために、色々な工夫がされていました。
木材が最も腐りやすいのは、小口面といって、木を輪切りにした時に見える面です。この面は、木の繊維が切り裂かれ、水分を吸収しやすい状態になっているので、雨水にさらされる状態にしてはいけません。
昔の寺院などで、木材の端部が、白く塗られているのを、見かけたことがあるかと思いますが、あれは小口面に防腐剤を塗って保護しているのです。
また、小さな雨除けのような屋根を架け、木材に水が掛らないようにしているところもあります。
「腐る」ことを防ぐためには、こうした知恵が必要ですが、あと、ちゃんとしたメンテナンスも重要です。つまり家の手入れです。(「メンドクサイから、メンテナンスのいらない家がいい」と考える方が増えてきたので、木造住宅も随分様変わりしてきました)
まだ、設計者にとって重要な欠点があるのですが、そのお話は、明日することにします。
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ひきつづいて木造の話

日本の湿潤な気候には、木造が良いという話を、昨日しましたが、木という素材は、他にも色々良い点があります。
まず、断熱性の高さがあげられるでしょう。素材としての熱の伝わりやすさは、熱伝導率(kcal/m・h℃)で表され、この数値の大きい方が熱を伝えやすいわけですが、木材は0.15ぐらいです。
これを他の素材と比較してみると、コンクリートが1.4、鉄(鋼)が45、アルミニウムが210です。断熱材であるグラスウールが0.05であることを考えると、も木材は、かなり優秀な断熱材といえます。
極端な例の上げ方をすれば、厚さ10cmの木材の壁と同じ断熱性能を出すために、コンクリートは93cm、鉄は3m、アルミにいたっては14mの厚さの壁を作らなければなりません。
鉄骨住宅などでは、熱を伝えやすい鉄骨部分で結露し、柱がはいっている部分だけ、壁がカビたりすることがあります。
こうした断熱性の高さが、寒い地方での木造建築を発展させました。西洋においても、北欧やカナダでは木造住宅が盛んです。ツーバイフォーなども、こんな背景から、発達していったものと考えられます。
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現在の日本風...住宅

今、私達が生活している住宅は、はたして日本の建築なんだろうか...というのが、今日のお話です。
木造建築に日本瓦...一見すると、昔からの日本建築と同じように見えますが、実は全然違うんです。
まず、構造の考え方が違います。昔の木造建築は、本当の意味での軸組構造(マッチの軸を組み合わせた構造)でしたが、今は、筋交(すじかい)なるものが付いていて、柱と柱の間を、一つの壁とし、耐震性に配慮しています。そういう意味では、壁式木造のツーバイフォーやコンクリートの建築物に近い考え方といえます。
また、環境に関する考え方も違います。昔の日本建築には、気密性はなく、空気が自由に内外を行き来することで、環境をコントロールしていました。奈良東大寺の正倉院は、校倉造りという、ログハウスのような作り方をしています。雨の日や湿気の多い日は、木材が水分を吸って膨張し、木材間の隙間を塞いで、湿気の侵入を防ぎます。そして晴れると、木材が水分を放出して収縮し、木材間の隙間を開いて、乾いた空気を内に入れる仕組みになっています。天然のエアコンというわけです。おかげで、内部の収蔵物は、1000年もの間、腐敗せずに保管できたというわけです。
このように日本建築の特徴の一つは、材質の「呼吸」にあります。室を構成する木材・畳・土壁は、どれも呼吸をし、湿気を外部に放出しているわけです。
ところで、現在の木造建築は、断熱性を高めるため、気密化をはかっています。室内外間での空気のやり取りは、ほとんどありません。そのかわり、室内の環境は、エアコンや換気扇といった機械でコントロールしようというものです。
最近、畳にダニがわくといって問題視されていますが、あれは、室内から吸った湿気を放出することができないからです。昔の木造建築では、畳下の板を隙間を開けて敷いてあり、そこから湿気は逃げていたのです。
そういう意味において、昔からの和室」を現代の住宅に作ることは、できないでしょう。
「従然草」の中に、「住まいは、夏をもって宗(むね)とし...」と、夏の暑さ対策を主眼とした家づくりを薦めていますが、現代の住宅は、いったい何が「宗」なんでしょうか...いっぱいありそうですね...それらを全て解決するためには、結局、機械の力を頼るしかなく...エネルギーやエコロジー・ヒートアイランド...といった様々な問題をひき起こしていくわけです。
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ちゃぶ台の話

ちゃぶ台というと、すぐ、星一徹のちゃぶ台をひっくり返すシーンが、目に浮かんでしまう。とても日本の家庭を象徴する存在のように思えるけれど、意外と歴史は、浅かったりする。大正時代ごろに普及したそうだ。それ以前は、時代劇などで見るような、お膳で一人一人食べ、一つの卓をかこむことはなかったそうだ。
大正時代になると、農村地域の人々が、工場で働くために、都市に移動し、それまで村単位のコミュニティの中の賑やかな生活が、一変し、自分の家族とのコミュニケーションを大事にしなければ、寂しすぎる、といった状況が生まれたそうなのである。
そこで、ちゃぶ台である。みんな揃って、顔を突き合わせて食事をしよう、ということになった。男性と女性が、一緒に食事をするようになったのもこの時からだそうだ。(ちなみにこの時代、子供も大事にされるようになり、子供部屋を与えられるようになったそうだ。)
家族のコミュニケーションの問題を多く耳にする昨今だが、ダイニングのテーブルを、目一杯大きくして、顔を突き合わせる場にしてしまうのも、一つの解決法のように思う。
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来年はうさぎ年

来年の干支は、「うさぎ」である。というより「卯(う)」である。「卯」とは、強引に中に入る様子を象形化したものだそうだ。
建築の世界でも、この字を用いられたものが色々ある。有名なのは、「卯建」である。「うだつ」と読む。「卯立」と書いたりもする。旧い民家などで、屋根の両端から立ち上がった小屋根付きの袖壁のことで、防火の役割をしたりもする。
でも、この高さで身分を表し、「うだつのあがらない人」とかいった言回しは、「卯建を高くすることができない人」=「出世の望めないなさけない人」といった意味で用いられる。
建築の用語や歴史を考えると、「身分」というものにいきあたる。この「卯建」も日本の建築様式が、「身分」によって形成されていたことを表す、一つの実例なんだろう。

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雨のち晴れ

今日は、雨まじりの昨日とは、打って変わって晴天となりました。ただ、晴れるとやっぱり寒いです。名古屋は、東海地方とはいうものの、本州の中でも、日本海が非常に近くにある所なので、冬は、他の地域よりも、北西からの風が入りやすく、冷え込むことが多いのだそうです。
夏は、夏で、太平洋から入り込んだ、暑く湿潤な空気が、北西の風とぶつかって停滞し、九州などよりも暑くなります(この衝突は、排気ガスの停滞にも関与しているそうです)。
つまり、名古屋は、その地理と地形から、夏暑く、冬寒い土地となっているわけです。
ああ、なんとエネルギー効率の悪い土地柄なのでしょう。
住宅を建てる際には、断熱と通気・換気等に、十分配慮してください。
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家族の空間・・・片付かないリビング

リビング・・・・片付いてます?。チョット見回したりなんかして・・・。まあ、奇麗に整理整頓された部屋というのは、気持ちいいんですけど、でも住宅の目的って、どれだけ家族が楽しく自由に過ごしていけるかってことで、そのための手段の一つとして片付けがあるはずですよね。なんか、片付ける事が目的化してしまって、散らかさないように生活しようなんて考えると窮屈になってきます。散らかるって事は、人の営みのあかしみたいなもので、散らかるだけ元気のある家族だということだと思うわけです。
特にリビングとかダイニングは家族全員が使う空間なので、色とりどりに散らかっていくはずです。その散らかり具合がまた、家族の肖像なわけで、片付ける前に、そんなこともチョット味わってみてはいかがなものでしょう。
(散らかった自分の部屋を見渡しながら・・・・・)
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家族の空間・・・さり気ないまなざし

家族って何なんでしょう?一緒に生活していると家族なんでしょうか・・・・血の繋がりがあると家族なんでしょうか・・・・それとも住民票の記入があるから・・・・なんか、どれもシックリこないですよね。自分のことを考えてみれば、父親とは考え方も価値観も全然違っているわけだし、なにか強く影響を受けたという実感もないし、趣味を学んだわけでもないような気がします・・・・。何かこう書いていると、何もない親子関係だな~と思えてきますが、まあ、簡単に言ってしまえば、うちの父親は私にとって、星一徹でもなければ、バカボンのパパでもなかったわけです。
でも、時々父親の表情を思い出すことがあります。(自分が子供の時の父親の年齢になってから意識するようになったみたいです。)
そんな訳で、ちょと強引かもしれませんが・・・色々な表情を見せ合う関係が家族のベースなのではないかと思う訳です。つまり・・・一緒に生活していなくても・・・・血の繋がりがなくても・・・・そして住民票の記入なくたって・・・・表情を見せ合う関係が(心からの・・・というより、心ならずも無意識のうちに表情を見せてしまうといった方がいいのかもしれない・・・)家族なんだと・・・・思う訳です。
だから、住宅の中にも様々な表情を見せ合う場をつくっておくと良いんじゃないかな~と思います。リビングにしてもダイニングにしても、浴室だってベランダだって、作り方一つで、表情を見せ合う場にもなるし、表情を隠す場にもなるわけですから。
子供に表情見せてますか?
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設計者との関係・・・無理をしない間がら

私は、住宅は「家族の肖像」であるべきだと考えています。つまり住宅の設計者は、その家族をモデルに、住宅という肖像画を描いているんじゃないかと考えるわけです。設計者にもいろいろなタイプがあって、細密画的な手法で描く設計者もいれば、抽象性を追及したり、民芸風な味わいを求める設計者もいるでしょうけど、いずれにしても、手法はともかく、住宅はその家族の肖像画でなければならないような気がします。
友達の家を訪ねた時に、「なるほど」と納得してしまった経験はないですか?。「あ~、彼らしい」とか、「あの家族ならでは・・・」という具合に。悪い意味じゃなく。そういうのって、結構うまく肖像画が描けているんじゃないかと思うんです。逆に、「なるほど」と思うようなところが、あんまりない家というのは、どんなに奇麗で機能的であったとしても、まあ肖像画としては、どうかと思うわけです。
住宅を建てようとする側が、肖像画を求めてない事もあるし・・・というより、そういう場合の方が圧倒的に多いんですけど。というのも、住宅の設計を依頼してくる人達は、自分たち家族の肖像よりも、どこかの美術館やホテルに飾られていた風景画を描いて欲しいと思っているケースが多いような・・・そんな気がします。(まあ、そういう風景画のような住宅も設計されているわけですし、メーカーの住宅は、そういう所をうまくついてるわけですが・・・)
ところが、いざ設計をはじめていくと、設計を依頼した側は、家族のいろいろな部分をさらけ出していかなければならなくなるし、設計する側も自分を取り繕ってることなんかできなくなってきます。というのも家族の生活というのは、本当に様々で、そのことを説明したり、納得していくためには、結構お互いをさらけ出すことになってきます。そんなことを繰り返していくうちに、いつしか風景画は肖像画へ・・・・。こんなことなので、住宅を建てたいと思う人は、設計者を選ぶ時には、できるだけ無理をしないで話し合える人というか・・・・まあ、お互いに近い価値観を持つ相手を選ぶといいと思います。まあ、描いてもらった絵に、ポーズや表情を合わせていくというのも・・・・ないことはないのでしょうが・・・・・・。
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